最近日航123便の御巣鷹山墜落事故について興味を持って調べてみた。
そのページを開く前に興味を持ったのが911の件で、これがでっちあげだと知ってから色々と疑惑を持つページを眺めていて、御巣鷹山に来た。
日航123便について簡単に整理すると1985年8月12日18時56分に、日本航空123便、東京(羽田)発大阪(伊丹)行、ボーイング747SR-46(ジャンボジェット、機体記号JA8119)が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(御巣鷹の尾根)に墜落した事故である。
事故調査委員会は後部圧力隔壁が損壊しその損壊部分から客室内の空気が機体後部に流出したことによって、機体尾部と垂直尾翼の破壊が起こった。さらに、4系統ある油圧パイプがすべて破壊されたことで作動油が流出し、操縦機能の喪失が起こったとしている。
しかし、隔壁が破損しとき発生する垂直尾翼が壊れるほどの空気流があったという証言は生存者の間にも一人もいないし、写真でも荷物が散乱している様子もない。それにもかかわらず事故調査委員会は調査を終了している。
少し本当のことが見えてきたのは日本の黒い霧のページだ。
日本の黒い霧のブログを最初から最後まで読んでみて、特異な発想と調査力に驚いた。
それまで、事故調査報告書や多くの小説、暴露本を読んだが、どうも本当のところはよくわからないままだった。ところがこのブログでいくつかの発見があった。CVRやCFRがでっち上げだろうというところや現地から色々な部品を拾って、それを調べた結果として、秘密兵器ではないかという点だった。
しかしどうしてもつじつまが合わないところがある。それは、米軍機が友好国の旅客機にミサイルを撃つ必然性がわからない。もうひとつ御巣鷹山に米軍や自衛隊やロシア機までが戦闘したとすればそれを聴いたり見たりした人がいなければおかしいし、山はもっと焼けていないと変だ。
そこで、このブログの収集した情報がすべて本当だとして考えられることを書いてみた。
1.日航123便は米国が知らない何らかの秘密兵器を運んでいたのではないか。
このブログによれば兵器等の部材を民間機に託することはよくあるそうだ。
2.そして機長や乗客の中の数名がその秘密兵器のことを知っていた。
高濱 雅己機長は海上自衛隊で哨戒艇を操縦していた超ベテランだそうだ。
そして、機長は事情を知らされた上で任されたと思われる。
そうでなければこれほど執拗に逃げた理由が分からない。
他にも兵器に関する情報関係の人員がついていたのだろう。
3.米CIAは日航123便がそれを運ぼうとしているということを探り出した。
その秘密兵器(多分核兵器)を押さえて、日本に核開発を断念させようとした。
4.米国空軍機が飛び123便を何とか横田に着陸させようとした。
横田に着陸すると米国内と同じようにその機内を捜査できる。
5.機長は横田に降りると秘密兵器が米国の手に入ってしまうことを恐れて羽田に戻ろうとした。
123便は7000mから700mまで急降下し、急旋回し東に向かった。
高濱機長は哨戒艇の操縦をしていたので、逃げるのは得意だった。
空軍機の想像よりはるかに操縦がうまくて、抑えられなかった。
機長は秘密兵器のことを知っているのは羽田と伊丹だけで
それ以外の場所ではばれることを嫌ったと思われる。
このときスコーク7700を発した。CVRの爆発音はでっち上げ。
6.羽田に戻られると米国空軍機は大変困ることになる。
羽田に戻ってしまうと米国が友好国の民間機を誘導しようとした結果だけが残る。
そして日本や友好国の対米不信感が高まる。
7.機長は懸命な操縦で空軍機をかいくぐりながら羽田に向かった。
8.そのため、空軍機はやむを得ず威嚇のためミサイルを発射した。
写真に写っているミサイルがこれだろう。
9.そこで当たったか、さらに逃げるので、当てたかして尾翼が落ちた。
これで機長は観念して、指示に従うことにしたと思われる。
尾翼が落ちたかどうかについては異説があるが、
地上で聞いたエンジン音が空ぶかしのような異様な音をしていた理由が分からない。
10.機長からの連絡は管制から首相に届き、あわてた首相は米国の大統領と直接交渉をした。
羽田に戻るとアメリカがまずい、横田に行けば日本が窮地に陥る。
11.自衛隊の戦闘機もスクランブルを起こし、米軍機と直面した。一触即発
スコーク7700が出ているので、自衛隊機は友軍である米軍機と戦うことになる。
12.話し合いが成立し、123便は羽田でも厚木でもなく、山中に墜落させることにした。
双方、痛み分けにして、なかったことにした。
13.米軍機と自衛隊機は協力し123を山中に誘い込んだ。
14.機長が懸命に不時着しようとしたので、ミサイルを撃ち込んでとどめを刺した。
米軍機か自衛隊機どちらが撃ったかは分からない。
不時着し全員無事なら、兵器の回収ができない。
15.墜落
16.直ちに自衛隊が出動し、証拠になる兵器を回収した。
その間、救援活動をすると兵器の回収ができない。
アメリカに救援してもらうとどさくさにまぎれて兵器を取られるかもしれない。
17.その時事情を知る機長と情報を知る男を殺した。
このときの自衛隊員は所謂殺し屋部隊のようなものたちと思われる。
18.誰が情報を持っているかわからなかったので、男は全員殺されたと思う。
だから女、子どもだけが生き残った。
19.夜明けとともに救援隊と米軍が来たが、主要な兵器類は引き上げられた後だった。
あらかたかたずけた後に、救援隊が来て、生存者を救出した。
20.砂と一緒に目くらましの為米軍機や自衛隊機やミグの破片を一緒に撒いた。
あまりに残留物が多くて、夜明け前までに回収しきれなかった。
このブログではこの兵器の残骸を調べて、ミグまで日本に来ていたと思っている。
そんなことはあり得ない。針をかくすには枯れ草の中だ。
21.事故調査委員会は、後部圧力隔壁が損壊したことが原因だと発表した。
当時首相の中曽根康弘氏は「真実は墓の中まで持っていく」と言っている。
事実が明らかになることはないのだろう。